バイヤーだった私がオリジナルをデザインし始めるまで

こんにちは、ダフネメリア(@daphnebuyer)です。


バイヤーとしてこの仕事をしていますが、
気づくとオリジナルの商品をデザインしたりするようになってきました。

今回は、バイヤーだった私がどうやってオリジナルの商品を企画・デザインし始めたのか
備忘録。

この記事を書いた人(プロフィール)

  1. 名前:ダフネメリア
  2. 職業:現役の通販バイヤー
  3. どのくらい:年間600商品仕入れ
  4. 2002年から20年ほどのベテラン
  5. プライベートでもジュエリー&ファッション雑貨
    セレクトショップを運営中
目次

バイヤーだった私が オリジナルをデザインし始めるまで

自分で作り始めた天然石のネックレス。

2002年からバイヤーという立場で人の作ったものを買ってくることをしてきたものの、
次第に売れる商品の傾向が見えてきました。

自分のお店で販売するためには、買い付けで見つけたデザインを、一部修正してもらうことが増えてきたのです。
私がジュエリーを作り始めたのは、そうした「買い付けの手直し」がきっかけでした。

バイヤーは売れる商品を追求すると、そのうち何が売れる要素かわかってきて、
売れない要素を省き、売れる要素だけを詰め込んだオリジナルの商品などを作る人が出てくる。

そして、そこにご自身のエッセンスなどを追加していき、
いつの間にかデザイナーとして機能することがあります。デザインの勉強をしたわけでもないのに、次第にオリジナルの商品を作り始めることができるようになった。
それをきっかけにジュエリー制作を始めると、一つの立派な趣味になりました。

かつてジュエリーのバイヤーとして仕事をしていた私が、
デザインをしてみたくなって オリジナルのジュエリーブランドakesadaを
立ち上げた流れを振り返る。

akesada(アケサダ)の誕生

私が最初の買い付けを始め、daphne(ダフネ)というSHOPで、コスチュームジュエリーを買っていた時のこと。

仕入れ先は、スペイン人やフランス人がデザイナーのメーカーでした。

欧州のバイヤー相手のメーカーの商品は、
ネックレスの引輪を左手で操作するために左側についていたり、長さも 日本人より分厚い胸板に併せて作られているので、若干長めだったりなど、なんとなく日本人にフィットしないものが多い印象。

そこで、メーカーさんと発注をしていく中で 日本人によりフィットするデザインやサイズに修正を加えていくことが増えて行きました。

  • 引輪を左側ではなく、右側に付けられますか?
  • このメッキを古美ではなく、金メッキに変更できますか?
  • ネックレスの全長をあと3センチ、短くできますか?
  • ブローチ金具が外れやすく、多分接着が甘いですよ。
  • グルーがはみ出して裏の仕上げが少し汚いので、はみ出さないようにできますか。

すると、次回はそこを直してきてくれたりするので 次第にその流れでデザインも修正していくようになりました。

  • TOPのシェルは、四角じゃなくて楕円の形に変更できますか?
  • 糸の色をダークブラウンから金色に変更できますか。
  • お花のパーツが多すぎるので、この部分はなくせますか?



部分的に修正するだけでなく、ついにこの長さでこの素材、私への販売価格をいくらまでで作れますか、と絵を描いてメールでデザイン画をやりとりし始めた。

こうして、私は自分の店で数をたくさん販売する予定の商品は自分でデザインをするようになったんです。

買ってもらうデザインは手直ししたものがいいけど、もう少し自分を表現できるものを作ってみようかな、と思い始め
その時はトレンドだった天然石でネックレスやピアスなどをなんとなく作り始めました。

”自分を表現する”のですから、売れるかどうか、よりも「つくりたいかどうか」を考えるようになりました。

私は、こんな激しい色のネックレスを、どんな洋服に合わせるんだろうか?
私だったら、この色のネックレスは洋服に合わせにくいから買わないな。
この色なら、合わせやすいかも。

そんなふうに、手直しと好きなパーツ、好きな色、洋服との合わせを考えていくうち、デザインすることができるようになったのです。

雑誌「装苑」他に掲載

2008年、たいしたきっかけもないものの、作り始めたらみるみるハマってしまい、
ちょっとした弾みで装苑というクリエイターの雑誌に掲載。

撮影に立ちあって感慨に深かったのも束の間、
掲載されるといろんなところから連絡が。

新進気鋭のジュエリー作家、なる本に掲載が決まり、
載った瞬間憧れだったブランドのディレクターからメールがきた。

あれよあれよの間に店に60センチ×60センチのガラスケースに作品を並べて世界観を出して並べてくださる話になったのです。

ところが、秋にリーマンで全てが流れてしまい、担当してくれていたディレクターも病気で退職してしまった。

簡単にはいかないもんだけど、物づくりで生きていきたいわけでもない。
でも、ただ私は時々無性に作りたくなりました。

こうして、ジュエリーの作家の活動を趣味にすることにしました。

ここ2年くらいで実家の片付けをしていて、アクセサリーの材料がひたすらあって、作ったものや作りかけのものがひたすら残っていた。

捨てるわけにもいかないし、どうしようかな、とデザフェスにでました。

売って処分したら踏ん切りがつくのかなと思ったりしたんだけれど、でも、売らずに残しておきたい自分がいる。
デザフェスでは、午前中に百貨店のバイヤーらしき2組に話しかけられた。


百貨店で売ったこと、ないですよね?なぜ、売らないんですか。と聞かれたが、会社員だから店に立てないんですよというと、彼らはすぐに居なくなる。
バイヤーが獲物を見つけた時の前のめり感の矢継ぎ早の質問て、される側にしてみたら結構怖いのかもしれないなと思いました。

せっかく百貨店のバイヤーさんに声をかけてもらえるのであれば、
私のモノづくりは、まだ大丈夫なのかもしれないな、と思ったのが2022年頃のお話。

そんなわけで、ジュエリーのブランドのサイトも準備中。
これはこれで、作家として活動しています。

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